財産没収

2017/8/29
サファリ・P「財産没収」を観た。感想を。
開演前、戯曲が貸し出しされていたので、ザッと目を通す。「その方が面白いよ」とweb上で演出の山口茜さんがアナウンスされていたので、お勧めに従った。
そして終演後、劇場の扉を出てすぐは、元の戯曲を読まずに観た方が良かったか?と感じた。それは上演が始まって少しの間、客入れ中に読んだ戯曲との答え合わせをしてしまっている自分がいて、そう思ってしまった。
しかし終演後から今に至るまで、いややっぱり読んだからこそ、そう思ったのかも、いややっぱ読まない方が、ト、ぐるぐるしており、それを落ち着けるためにも今これを書いているようなところもあります。ダラダラと綴ります。気が向いたらお付き合い下さい。

今回のサファリ・Pの作品、面白かったと思います。それは、はしぐち自身がテネシー・ウイリアムズを読んだことがあり、彼の戯曲の上演作品も何本か見たことがあるからではないだろうか?と感じるところがあります。そこで、問題となるのが、当日のアフタートークでも話題に上がった、どのような客層をターゲットとするのか?です。観劇中の答え合わせを早々にやめ、何処かの瞬間「あ!これテネシー自身のことがなんや」って気がつきました。「ガラスの動物園」をぼやっと思い出し、目の前の舞台上で行われていることと、結びついたように感じた瞬間がありました。それどこやねん?って聞きたいかもしれませんが、きっともう一回観ないと、それが何処だったのか解らないです。それくらいのぼんやり感で、はしぐちは観劇してるんだと思います。まあ、はしぐちの観劇姿勢はともかく、この作品が、元々書かれた物語を解体し再構築の末、テネシー自身の物語になっていることに気がついた時、ゾクゾクしました。おもしれーって思ったんですね。テネシー・ウイリアムズの書いたものは自伝的要素の多い戯曲だと思います。(まぁ作家なんてものは、多かれ少なかれ手の届く範囲の事柄からしか筆を進めるしかないのかもしれませんが…)その自伝的要素の濃さがテネシー・ウイリアムズたらしめているように、はしぐちは思っています。となると、テネシーのテキストを使い、テネシーのことを描いた演劇作品を観るなら、やっぱりテネシーのこと知ってた方が面白くね?とか年甲斐もなく若者言葉で思ったりもしたのです。つまりテネシー・ウイリアムズを知っている観客に向けて創られた作品ではないだろうか?と考えてしまうのです。

そして次考えるのは、テネシーを全く知らない人は、どう観るのだろう?という疑問です。事前に貸し出しされていた戯曲を読み、その内容が少年と少女の二人芝居と身構えていたお客さんはどう感じたのだろう?男二人と女一人の関係性をどう捉えたのだろう?そこはとても知りたいところです。はしぐちのように答え合わせをするお客さんもいたんじゃないかとも推察できます。きっとどこかで、その答え合わせが不毛であることに気づいた後、この作品をどう観たのだろう?すでにテネシー・ウイリアムズを知ってしまっているはしぐちには、計り知れない部分ではあります。
しかしながら、時間が経つにつれ、早々にこの作品は元々の財産没収ではないと気がついたのは直前に戯曲を読んだからではないのか?と思い始めるのです。高杉さんと松本さんが登場した時点で、その予感はあったのです。そして二人の関係性が解った時には確実に答え合わせはやめていたはずです。そもそも「だまし絵的演劇」と銘打たれていたことにも合点が行くわけです。どうやら、このお芝居、はしぐちにとってはハッと気がつくことの面白さの演劇だったようなのです。

では、事前情報の全くない観客はどうだったのだろう?テネシー・ウイリアムズのことも知らず、上演前に戯曲も読まなかった観客はどうだったのだろう?
(観劇後一週間以上たち少しづつ記憶が曖昧になってきてはいるのですが…)ゲイのカップルと彼らに関わる女の物語?そこから浮かび上がってくる姉を喪った過去?(あぁ、ここにきてラストの印象が曖昧だ…記憶にあまり定着していないのです。松尾さんの立ち姿が美しかったことはうすぼんやりと記憶しているのですが)
ゲイのカップルであることは、テネシー自身がゲイであったことを知らなくても解ると思います。姉らしき人を喪っていることも何となく見えてくるような気はします。それでも、テネシー・ウイリアムズ自身を知っていた方が、スッと届いてくるような気がしてしまうのです。

はしぐちは少しテネシーに囚われすぎているのかも知れません。
事前情報なしなら、ここまでテネシーに囚われることもなかったか?しかしながら、自分の人生の中からテネシー・ウイリアムズにふれてしまったことをなかったことにはできない。悩ましいところです。
今回の公演、プレトークが行われた回もあったとの事。プレトークに何が話されたかは存じ上げませんが、戯曲を解体したこと、テネシー・ウイリアムズのこと等は話されたのではないでしょうか?演出の方向性としては色々情報を事前に入れてもらってからの方が楽しんでもらえるということだったと、結果、はしぐちは理解してます。だったら演出のお勧めに従った方が良いよねぇ。あ、何かふりだしに戻った感がある。いややっぱり…

トまぁ出口の見えない思考の無限ループに陥るぐらい、今回の芝居、面白かった訳です、はい。